2011年3月11日、今でも忘れないあの東日本大震災から、早いもので約7年が経とうとしているわけですが、当時は母親が入院、自宅には自分しかいないという状態で、震度6強という激しい揺れに耐えました。度重なる余震にもなんとか耐え抜き、非常に大変でしたが、弟といろいろな方に支えられてなんとか被害がほとんどなく、命は守られました。もうあの揺れは、二度と経験はしたくはないのが本音です。

壁のひび割れ

災害の状況は携帯電話やテレビなどで情報を得ておりました。緊急地震速報は、良くチェックしておりましたが、まさかあそこまでひどい揺れが来るとは思いませんでした。小学校の避難訓練で開催した際の地震車で体験はしたことがありましたが、やはり突然の激しい揺れには大変驚きました。自宅にいて食事をしていましたが、そばにあった食器棚から次々にグラスやコップが落ちて割れ、電子レンジやトースターも大きな揺れに耐えきれず、ガシャーンと大きな音を立てて落ちました。お茶を飲むために沸かしていたやかんの火を止めて、外に出られるように玄関の扉を大きく開いておきました。

弟はまだ中学生だったため学校で被災しており、なかなか連絡が取れず、近所の弟の友人のお母さんが一緒に自宅まで連れて帰ってきてくれました。サッカーの部活中だったようで、着替えるのも忘れていたのか、泥だらけのまま帰宅しました。その後水が数日間停まってしまったので、洗濯ができなかったことも大変困りました。

病院での母の様子はその日の夜に確認ができ、安心しました。余震が続く中、弟とふたりでリビングに布団を敷いて寝たことを思い出します。避難バッグを玄関に置き、いつでもすぐ避難ができるように、パジャマには着替えず私服で寝ました。ヘルメットや防災頭巾も手元に置いておきました。弟は私が守らなければ、と強く感じていました。余震が続いたのでなかなか熟睡できず、いつまた大きな揺れが起こるのかと不安でした。

一番困ったのは、やはり食事でした。地域の方や所属するコミュニティの方たちの助けがあり、食事を提供して頂きました。当時私は病を患っており、なかなか思い通りに身体が動かず、薬も手に入らず日常生活がかなり大変であったことはよく覚えています。弟が薬を取りに行ったり、地域の方に症状を連絡してくれたので大変助かりました。

当時、一番信頼できた情報源はテレビでした。携帯電話でもある程度なら情報は入手できますが、やはりテレビの情報が映像としても確認ができて、一番わかりやすかったのではないかと思います。計画停電の情報なども、テレビと携帯電話で常に情報を得ることが出来ました。

現在では、スマートフォンが普及して来たこともあり、緊急の用事または災害への備えとして、スマートフォンの携帯用充電器、または電話が使えなくなった場合を考えた時に、LINEは必須にはなります。母も私もあまり身体が強くないため、電話をしても病院に行っていたり、寝ていて電話が取れないことがありますが、ラインでメッセージを残しておけばいつでも確認して返信することができます。また既読がつけば相手が読んだこともわかるのが便利です。母もいつしか絵文字など送れるようになったので、楽しくコミュニケーションを取っています。日常的に利用しているため、災害時などでも慌てずメッセージでやりとりができると思います。

弟は仕事が忙しいため普段はゆっくり話せないため災害時の備えなどについて一緒に話し合うことはありませんが、災害時に集合するのは実家となることだけは伝えたいと思っています。弟、母、私でのラインのグループもあるので、何かあった場合はまずここに一言でもメッセージを残すようにしたいと思います。