私は、阪神淡路大震災と東日本大震災を両方経験しました。阪神淡路大震災は運転免許の合宿で福井県にいたので直接の被害にはあいませんでしたが、震災当日実家のある大阪へ帰る予定でした。朝一のニュースから被害者の数がどんどん増えていくのが忘れられません。

海と家

東日本大震災時は自宅にいました。台所の引き出しがすべて開き、ものが散乱し今まで体験したことのない揺れでした。すぐに外に避難しましたが、低層階の(マンション)方々はそれほど揺れなかったようです。

阪神淡路大震災の時、とにかく自宅に戻ろうと動いている電車に飛び乗りました。福井県から京都経由で大阪方面へ。しかしなぜか電車はどんどん神戸市方面へ向かい、最終的に三田でその日の電車は終了しました。

ホテルもすべて満室で途方に暮れて歩いていると自衛隊のトラックが保護してくれて、市役所へ避難しました。チョコレートやビスケットと毛布の配布を受け、家屋が倒壊した被災者の方々とパイプ椅子をベッドにして夜を明かしました。家族が見つからず泣いている方や、電話がつながらない方も多くみられました。

小さなお子さんを連れているお母さんがお父さんと連絡が取れないと泣いている子供に気丈にふるまっていたことがとても印象的でした。避難所にはペットは入れないためワンちゃんと避難してきたご家族は寒空の中外で一夜を明かした方もいらっしゃいました。

とにかく情報が錯綜していたのでみなさん不安で憔悴しきった方々であふれていました。阪神淡路大震災を体験するまではまさか実際に大災害に巻き込まれるなどと思ってもみなかったので、防災グッズという概念自体が非常に欠落していたと思います。

やはり一番困るのがライフラインです。特に水道はなくてはならない命に直結する大切なものですので断水が起こる前にお風呂に水を張ることを心がけております。東日本大震災の時はおそらくその体験を生かして、私が住んでいるマンションはまず地下倉庫にミネラルウォーターと非常食を備蓄していたものを開放していました。

後から聞いたのですが地下の水道タンクからポンプでくみ上げて各家庭に水道を供給するタイプの建物なのですが、非常用に屋上にもタンクがあり併用で使用しているとのことでした。屋上のタンクだけでも各家庭数日は賄えるとのことなのでとても良い設備が整っていると感心致しました。

東日本大震災の時は食器棚の皿やお酒がすべて床に落ちてガラスの破片が飛び散ってしまったので家を出るときに足を切りました。災害時用の室内履きも必要かと思われます。

阪神淡路大震災の時は携帯電話を持っていたのですが、一切つながらず使い物にはなりませんでした。朝一番の公衆電話は繋がったのですが、やはり8時頃を過ぎると繋がりませんでした。その時に両親の元気そうな声を聞くことが出来て、心から安心しました。

東日本大震災の時も固定電話は一時不通になり、携帯電話に至っては都心部で特につながりませんでした。個人的に一番つながりやすかったのはフェイスブックのメールアプリだったと思います。友人同士の安否確認には大いに役立ちました。インターネット回線を経由しての連絡で情報量が少ないメールだと問題なくつながったのではないかと思います。LINEは当時まだサービスがなかったのでわかりませんが、やはりEメールなどが迅速に連絡が付く手段としては有効ではないかと考えます。

家族が近くにいる場合は避難所に指定されている学校などが良いと思います。顔見知りの方といるだけでも安心でき、地域の人と情報収集もできるため、指定避難所で過ごした方が不安も少なくなります。また水や食事の配給もあるため、自宅で心細く過ごすよりはいいと思います。